鹿児島県の養鶏場で本年5月、集卵機械に男性社員が巻き込まれ死亡した事故があり、鹿児島労働局は10月1日十分な安全対策がないとして、農場親会社の卵販売会社及び事故をおこした農場長の男を書類送検しました。
報道によると、農場で作業していた男性60代が5月、雨カッパのフードと右腕を卵を集める機械に巻き込まれ死亡しています。
回転式の機械で労働者に危険を及ぼす恐れがある部分がある場合は、事業者がカバーを設置することが法律により決められており、同農場はその防止措置を取っていなかった疑いがあるということです。
この件に関し、会社は書類送検に関する通知が来ておらず、どのような内容かも把握していないのでコメントできないとしています。
皆さんはこの件をどのように感じるでしょうか。
安全を意識した多くの農場は、恐らく回転部はカバーで覆い手や体の被害を想定して設置メーカーが取り付けたカバーをそのまま使用されていると思います。
ですが、一部の農場はこのような安全カバーを外して使用するところも散見されます。
集卵機や除糞機ローラーが農場内にあります。自家配合する農場では製造機も該当するかもしれません。
多くはチェーンやギアがあり、除糞機ローラーであれば回転部分(ベルトの折り返し部分)もあります。
新設した時の多くはカバーを設置しているはずですが、注油するから邪魔とか、清掃する時に邪魔と言った理由から農場自身が撤去することも珍しいことではありません。
取り付け業者は作業の邪魔になるからという理由で好意に取り外すことはありません。
法にふれることを知っているからです。
多くは、ケガをするわけないだろうとか、注意すればよいという他力本願の考えのもと効率という名目で自ら法を破る行為をします。
その多くの農場はそれが法令違反になると認識されているとは言えません。
理由を聞くと従業員の不注意であり、会社は医者には連れていくがあとは自己責任という声を現場責任者からはよく聞きます。
経営者は一部ですが、法の趣旨を知っておりこのような発言は聞かないのですが、やはり自己責任という立場にあり、法に従うという意識が薄いということもあります。
ですが、法令では以下に違反しています。だから重大な事故にはペナルティーを科すのです。
労働安全衛生法第4章「労働者の危険又は健康被害を防止するための措置」第20条には「事業者は、次の危険を防止するための措置を講じなければならない」とし、
1,機械、器具その他の設備(以下機械等という)による危険(本件はこれに違反)
2,爆発性の物、発火性の物、引火性の物等による危険
3,電気、熱その他のエネルギーによる危険
とあります。
農場を開場した昭和のはじめと違い、経営者自身が農場管理をされる方はそう多くはありません。
農場主が自ら取り外しケガをするだけでは自身の問題でも良いでしょうが、雇用者をケガさせたり、ましては死亡させたとあれば事態は全く違います。
そんな易しい問題ではなくなり、社会的な影響を及ぼすことになります。
昔は良いからというイメージが抜けきれず、作業しやすさと自己責任の原則という昔のルールをそのまま自農場に当てはめます。
昔と違うのは、事故を防ぐことを意識した従業員が少なくなり、寝不足や健康状態、危険性の欠如といった個人の行動から事故に至り、ケガをするから気をつけろでは済まなくなり、巻き込まれ死亡はシャレにはなりません。
「気をつけろと言ったろ」とは言えません。それでは会社の常識を問われます。
今の時代、安全対策が常識で、自社の常識が非常識となる時代になっています。
お伺いする農場で、安全対策が講じていない箇所がある場合法令に違反して危険ですよと必ず言います。
よくお話しますが、自身の常識は世間の非常識という言葉が多くあてはまる機会が多いと思います。
自己流は一見よくできる人や農場と思えますが、細部を見ると核心部分の除外や、安全と言った成果に結びつかない部分の多くは削除して、早くできる・効率化していると、はき違えます。
今回の死亡事故は、鹿児島の農場だけの問題とは言えません。
恐らく皆さんの農場の1か所や2か所にはこのような改造と呼ばれる違反行為があるかもしれません。
今回の書類送検には当然ですが管理者の会社と、事故発生農場の農場長も管理不適切ですから含まれています。
ましては経営者が知らないでは「コミュニケーションのない問題のある農場 」と言われかねず農場の存続すら危ぶまれます。
何しろ経営者が知らない裏では違反行為しているのに気づけない経営者があるということだからです。
最近危険性を予測できる方が少なくなったと感じます。
それは管理者である農場長も同じで、俺が長年気を付けてけがをしないから、お前もケガをしないはずといった、危険性の自覚を有していない方もいて、今日までケガをしなかったから明日も安心という思い込みを描いている方も見受けられます。
本来はそのような危険があるのであれば被害が大きくなる前に対策を講じる方が良いことが多いのですが、いくつかの方はそれを危険性があると認識されないことで事を大きくしてしまうのが現実です。
これが社内に蔓延し、経営者も自覚がないことから自己責任論が確立し、ケガをすれば医者には連れていくが、あとは自己責任という風潮が生まれ、ある日、手を巻き込まれたり、最悪死亡事故に発展することになります。
一番怖い流れでもあり、何とか断ち切るようにしなければなりません。
逆にマメに労働基準監督署に申告する経営者もいます。
確かに労災なのですが本来は、そうならないようにしっかり対策しなければならないことを忘れ、医療保険を申告するような手軽感で申請する農場もあり、どちらも同じで危険性の理解が薄いように見えます。
ハインリッヒの法則という言葉あります。
重大な事故1件発生には、軽微な事故が29件あり、その背後には300件のヒヤリハットがあるとされる法則で、重大な事故に発展するには軽微な事故やヒヤリハットがあり段階があります。
ですから事故を防ぐという意識がないとヒヤリハットが数多くあり、何とかなってもある日軍手をした手がチェーンとギアに巻き込まれて指を挟む事故があり、気を付けようになるのですが、
更にある日ふらついて手をついたらギアで腕を巻かれてという事例もあります。
いずれも、カバーがあれば良かったことではありますがそれ以前に危険性を危険と認識しなかったことで放置したことによる事故になったということです。
このような事例は農場にたくさんあるはずです。
今回のような重大な事故は本来は防ぐことができたことが実際は多いというのが実情でしょう。
家畜を飼養される方の死亡事故はこれ以外にもあり、2021年2月9日高知県の養豚場で豚舎清掃用高圧洗浄機を修理していた作業員が感電し死亡しています。
これも、電源を切って作業すればよいだけで済む問題なのか問われる事例です。
このように現代の従事者は、皆さんの昭和の時代と違いありえないことが普通に起こるという時代です。
その背景には危険性を理解していないこともありますし、危険にはならないという面倒さから引き起こすこともあります。
このような面倒というキーワードはあらゆる理由でよく聞きます。
例えば「時間がないから○○はできない」というのも、時間がないというより、面倒でその時間がもったいないという理由でよく使われます。
この理由が更に発展した事例が、昨年の鳥インフルエンザが発生したある農場の人の配置にも通じます。
今年千葉県のある農場で発生した農場の疫学調査には作業者が10名近くいるのですが、ワクチン作業を優先するため管理者1名に40万羽を管理させていて常態化していたというものです。
人がいなので管理はできない。
同じ理由です。
1名での管理は経験上限りがあります。集約していても15万羽程度が限界と感じます。毎日計器類を眺めるだけであれば可能かもしれません。ですがそうはいかないはずです。清掃はどうか、集糞はどうか、巡回はどうか。
このどうかをうまく削れば時間を捻出できるかもしれませんが、それではもはや管理ではなく巡回散歩です。
このように危険性を認識させるには自社の伝統OJTで何とかなることはなく、第三者が指摘して注意喚起することが有効でもあります。
ですが、めんどくさい、お金がもったいない。
と言った僅かなお金を出し惜しむがゆえ事故に至り、場合により人が亡くなるという最悪の結果を引き起こす可能性があることを再度認識しなければならない時代になりました。
労働安全衛生法第4章第24条は「事業者は労働者の作業行動から生ずる労働災害を防止するため必要な措置を講じなければならない」としています。
健康診断の義務だけが労働安全衛生法ではありません。
また農業だから、畜産業だから除外されていると言うわけではありません。
雇用している責任を自覚し、外国人技能実習生であっても雇用者であり責任があります。
農場長であっても同様で生産性の維持向上は当然の仕事です。この行動だけに時間を割いている程度ではまだわきが甘いと言えます。
私も幹部職員までこの世界にいました。
大事なのはバランスよく見る目と、当たり前が疑わしいという思考です。雇われだからこんなもので良い程度では先が思いやられます。
また、それを容認する組織も心配です。
組織にとって見えない物・見たくないものは見えなくなり、事故以前に存在の危機もありえます。
今お話したような事故以外にも様々あります。
重機運転中の事故や不適切な使用による事故(フォークリフトを高所作業に使用し落下する事故等)もあります。
いずれも個人の責任と言えるのか。
農場でのケガは付きもので、救急箱だけあればいいのか。
今回の事件は、多くの農場に隠されている闇の部分が表面化した事例なのかもしれません。それは機械のみならず人の意識も再確認しなければならないのかもしれません。