nogutikusan’s diary

畜産と共に歩む20有余年、今の養鶏の課題や考えをお伝えします。 のぐ地久三事務所養鶏部公式ブログ

鶏の管理とは何でしょうか 養鶏の基礎

採卵鶏を管理されている方とお話することで、様々な考えを持って日常管理をされていると感じることがあります。


ある人は、病気の有無が分かり自身の判断がいつも正しいというスタンスで鶏や作業者に接する方。
ある人は、鶏の仕草で餌が足りていない、仕草からストレスを感じている等動作から見て判断できるスタイルを持っている方。
ある人は、日常作業の正確さに定評があり、給餌や給水等生産性に影響ある基本部分の危険回避を常に行っている方。


様々な特性を持つ従事者のおかげで、鶏たちは安心して鶏卵を産出しているのでしょう。


では、管理をするとは何でしょうか。


病気を発見できることでしょうか。

それとも作業の正確さが一番でしょうか。
何人かの人に伺うと、多くは作業の正確さと言います。

しかし一部は病気が分かるようなことが重要であり、管理できることは当たり前なのだという解答です。


私自身20数年養鶏の世界に身を置いて感じることは、管理が出来て病気が分かるというのが感覚的に感じるものです。


その管理が出来て当たり前という方も10年はこの世界にいるわけですが、少し観察すると、鶏の仕草の変調に特に敏感でないことが分かります。
このような状況で、管理が出来て当たり前と言われても・・というのが本音です。
病気が分かる根拠を伺うと「本で調べた」とか「知っている人に聞いた」というものです。
そして、解剖が出来るので「特定が可能だ」と自信を見せます。
本当にそれは正しいのか。


私は獣医師ではありません。

ですからそこまで病気と思われる症状を自信もって答えることはできません。


確かに、腸管の変調から、コクシジウムやクロストリジウムではないかという症状、肝臓肥大や肝出血等や脂肪肝、腎臓の変調からの呼吸器病予知等分かりやすい症状はわかります。
しかし、大事なのはそれから何を学ぶのかというものです。病気は突然発生することはそう多くありません。多くは何らかの環境からそうならざるを得ないというプロセスがあるはずです。
それが特定できることが管理者の技量であり管理を改善して鶏の立場で考えるというのが本当の鶏の管理で技量がある者と認められるのではないかと感じるのです。


病理鑑定は専門的な方しかできません。

正しい判断ができるはやはり専門家以外にはいません。

逆にそうでない方が胸を張って発言することが問題と感じることもあります。


専門家と素人はしょせん本物とまがい物といえるくらい正しい答えを導く力に差があるのです。ですからそれが特定できれば原因や対策が見えてきます。


そうでない方からの見解で原因や対策は多くは正解に結び付くことは稀かほぼないといえるのが現実です。

 

しかし、結果を待つまで数日や数週間かかることも珍しいことではありません。その間症状が進行したり、消失したりしてわからないということもあります。


私自身は、20年からこの世界の現場第一線にいることを自負するわけではありませんが、常に自己研鑽し様々なことを学ぶ姿勢を今も取り続けています。


このことで、鶏を見るということ、五感を活用して異常を察知することに注視していること、鶏から見て今はどうなのか、鶏の目線で考えるということを、ご指導する際にお伝えしています。


これが出来ることで基本が出来上がり、応用発展に鶏病の予測が出来ると考えています。しかし病気を正しく判断できるのは獣医師の方々であり私たち管理者が発言できることではありません。
予測は可能ですが、それは経験から言えることで、経験がない者には真似事しかできないといえます。


最近思うのは、他の人より上にいたいという願望を持つ作業者が多くなり人より抜きんでている内容として鶏病の判断できると発言する方を見る機会が多くなりました。


繰り返しますが、正常である日常を知らない方が異常を察知できることは経験から見てあり得ません。それなのに、分かると断言できるその自信にはある意味脱帽します。


これが横行する農場ほど、管理力がやや低いと感じることが多く、生産性があまりすぐれません。

理由を伺うと「ワクモがいるので仕方ない」「外国人技能実習生が管理しているので手を抜いている又は出来る力がない」「台風による影響」と、本当に分析した結果なのか又は現実から目をそらせたいのかという内容が多いと感じます。


経営者も右腕がそういうのだから間違いないというスタンスで、生産性も問題あるのですが、社内風土も悪くなり改善点を見つけることすらできない悪いスパイラルに陥っているところもあります。

 

鶏の管理とは何でしょうか。
今日のテーマですが、私の経験と知識から言えることは、
鶏の管理とは、鶏の目線で考え管理することが管理の基本である。
ということにつきます。


基本から応用が生まれそれが知識になり経験となる。ある先輩が言う言葉です。


私もこの考えを持ち20年以上の期間養鶏に携りました。

今もこうしてご指導させていただく時に教えるというスタンスでなく、一緒に考え共有していくことで私自身も成長していくと感じるのです。


鶏は正直な生き物です。管理をミスれば生産量を落とす。断水させれば日齢によりますが大きなダメージを与え廃鶏まで低産卵になる現実。
不快な環境を与えれば、弱い鶏は生産をやめて自身を守る体制に入り生産量が減少していくこともあります。

 

一昔までは、この考えを持つ従業員が農場に一人二人いました。しかし時代は変わり仕事に情熱を持つ人ほど退職したりと技術が途絶えることが多くなりました。
それどころか、労働力補充が第一となり外国人技能実習生に頼る農場運営となるつつあります。


技術の消失は、鶏の生産能力(遺伝能力)でカバーできることもありますが、管理はその能力を最大限に発揮させる最低限の技術です。それが難しいとなったとき、技術を再度呼び込むことはほぼできません。

多くは経験者を雇用するのでしょうが、短期の経験者が多いのが実情で、本当に技術を持つ人は再度この世界に戻ることはありません。


自社での教育もそもそも何ができるのか分からず結果従業員に任せきりとなり運が良ければ考える従業員が生まれましょうが、多くはいつまでも作業者の延長でなんら変わらない。

変わるのは社員の在籍年数だけというのが多いと感じますし、本当に危機感を持つ経営者はこれでは自社の将来が後10年どうなのかというぐらいの危機を持って相談されているのも現実です。


失った技術を、再度戻すには私どものようなスタッフからの技術の買戻しのような状況になるのかもしれません。


優れた経営者と先輩がいることで初めて生まれる技術力を持った人材は、今はそう多くないのかもしれません。


いくら大金をつぎ込んでも本当に価値ある人材は取得できないといえましょう。
自社で育てるもその土壌がすでに荒れ果てた風土ではいくら大金をかけても何も育ちません。


しかし時間と共に技術は消滅していくのは現実。


ウインドレス鶏舎の管理ですら難しいといえるのであれば、いよいよ技術を育てる環境は失われたか、もう間もなく失われていくのかもしれません。


それは、セミナーでどうこうなりません。

一緒に考える人が必要でしょう。

それにお金をかけるほど無意味と感じる方もいます。


しかし、選択一つの間違いで少しづつ違う世界へ進んでしまうこともあります。選択はその人農場の問題で社会的に見てその判断の適否は大きな影響を与えません。
結果、その世界から退場することもある非情な世界でもあります。

 

それを船の航海士のように導くことが出来るような人材がいるのか船長と船員だけでこの世界を渡り合えるのか・・
最近感じる鶏の管理というキーワードから見える農場の考えの多様化した現実のお話です。